山形 駅 から 赤湯 駅
噛み付かれてると認めたり、ましてやそう言葉にしたりなんて、彼らはしなかったんじゃないか? 歯牙にも掛けないでいたんじゃないか? 自分の足場から可能な、ほんのちょっとばかしオルタナティブ、という仕方で生を実践してみせてたんじゃないか?
離婚して1年、夫と暮らしていたマンションから引っ越した36歳の砂羽。昼は契約社員として働く砂羽は、夜毎、戦争や紛争のドキュメンタリーを見続ける。凄惨な映像の中で、怯え、逃げ惑う人々。何故そこにいるのが、わたしではなくて彼らなのか。サラエヴォで、大阪、広島、東京で、わたしは誰かが生きた場所を生きている―。生の確かさと不可思議さを描き、世界の希望に到達する傑作。【「BOOK」データベースの商品解説】 1945年に広島にいた祖父。大阪で生まれ育ち、2010年の東京で暮らす36歳のわたし。戦争や震災など過去の記憶と、65年前に書かれた作家の日記が交錯し、現実の時間が動き始める…。【「TRC MARC」の商品解説】 離婚して1年、夫と暮らしていたマンションから引っ越した36歳の砂羽。昼は契約社員として働く砂羽は、夜毎、戦争や紛争のドキュメンタリーを見続ける。凄惨な映像の中で、怯え、逃げ惑う人々。何故そこにいるのが、わたしではなくて彼らなのか。サラエヴォで、大阪、広島、東京で、わたしは誰かが生きた場所を生きている――。生の確かさと不可思議さを描き、世界の希望に到達する傑作。【商品解説】
わたしがいなかった街で [著]柴崎友香 主人公の砂羽は、大阪出身の30代半ばのバツイチ女性。東京の世田谷に暮らし、小さな会社に非正規社員として勤めている。家に戻れば、ユーゴやイラクなど世界の戦争や紛争を扱ったドキュメンタリーをテレビで見る彼女は、人づきあいが苦手で、周囲からは変わった人だと思われている。 小説を読むとき、我々は主人公の視点から世界を眺めるものだが、本作を読んでいると、だんだん居心地が悪くなってくる。砂羽の物の見方がヘンだから? いやむしろ、彼女が現実に対して感じているズレを我々自身が少なからず共有していることに気づいてしまうからなのだ。 砂羽には広島で1945年の6月まで働いていた祖父がいた。もし彼が8月までそこにいたとしたら、彼女はいま存在していただろうか? 受験生のころ見ていたテレビには、ユーゴの内戦が映し出されていた。日々歩く世田谷の街もかつて空襲で焼かれた。同じ〈いま〉に、心地よい〈ここ〉と流血の〈あそこ〉が、同じ〈ここ〉に平和な〈いま〉と地獄の〈あのとき〉が矛盾もなく含まれることの不思議さ、〈いま、ここ〉でただ傍観しているだけの罪悪感。 そんなのは遠い土地の他者を思いやる自分に陶酔しているだけだ。己の〈いま、ここ〉を全力で真剣に生きよ。健全な常識はそう命じる。 だがそれが難しい。〈文学〉が想像力によって、一時(ひととき)であれ我々を〈いま、ここ〉から解放する手段だったとしたら、我々の生きる〈いま、ここ〉は、ネットやスマホによってボタン一つで到来する無数の〈別の〉現実に絶えず侵食され、タッチパネルとは言うが、他者に〈触れる〉ことがますます困難になっている。〈文学〉に分の悪いこの時代に、文学的表現によって応答するこの小説は、まさに〈いま〉だから書かれなければならなかった傑作である。 ◇ 新潮社・1470円/しばさき・ともか 73年生まれ。作家。10年に『寝ても覚めても』で野間文芸新人賞。
この機能をご利用になるには会員登録(無料)のうえ、ログインする必要があります。 会員登録すると読んだ本の管理や、感想・レビューの投稿などが行なえます もう少し読書メーターの機能を知りたい場合は、 読書メーターとは をご覧ください
(おかだ・としき 演劇作家、小説家) 著者プロフィール 1973年大阪府生まれ。2000年に刊行されたデビュー作『きょうのできごと』が行定勲監督により映画化され話題となる。2007年『その街の今は』で芸術選奨文部科学大臣新人賞、織田作之助賞大賞、咲くやこの花賞、2010年『寝ても覚めても』で野間文芸新人賞、2014年に『春の庭』で芥川賞を受賞。小説作品に『ビリジアン』『パノララ』『わたしがいなかった街で』『週末カミング』『千の扉』、エッセイに『よう知らんけど日記』『よそ見津々』など著書多数。 判型違い(文庫) この本へのご意見・ご感想をお待ちしております。 新刊お知らせメール 書籍の分類 ジャンル: 文学・評論 > 文芸作品 ジャンル: 文学・評論 > 文学賞受賞作家 発行形態: 書籍 著者名: し