山形 駅 から 赤湯 駅
現代のように家庭の冷蔵庫の冷凍室にアイスが常備出来なかった昭和40年代初頭 それは何故か?そう、昭和40年代初頭の家庭用冷蔵庫はまだ1ドア式が主流で 2ドア式冷凍冷蔵庫が普及するのは昭和40年代半ば以降だったのだ そんな事もあって駄菓子屋やスーパー、ストアで売ってるアイスは子供に大人気だった 約半世紀経った今でも販売されてる物も多いがパッケージが変わったり マニアックな店に行かないと見かけない物も少なくない 昭和31年に協同乳業から発売された日本初の当たりくじ付き アイスのホームランバー、発売当初は1本10円だったそうだ スティックの焼印に「当たり」が出たら、もう1本もらえた 昭和40年代に入ると従来のバニラ味に加えチョコレート味が追加された 長浜では確か、爆弾って言ってたような気がするが調べてみると たまごアイス、ボンボン、おっぱいアイスなど複数の呼び名があるみたいだ この爆弾アイス、昔は独特のゴム臭があり、ゴムっぽい味が混じってた (笑) しかし、独特の甘さがあって美味かった 今でもパッケージ入りで販売されてるようだが当時は駄菓子屋の 冷凍ショーケースに、むき出しの状態になってた 井村屋の輪切りパインも懐かしいですが、これも今でも販売されてるようだ てか、輪切りパインは本物のパイナップルを凍らせたと思ってませんか? (笑) 確かに味はパイン味だし、食感も果肉を凍らせたようにも感じますが これは簡単に言うとパインジュースを凍らせたアイスなんですよ あの食感になるのは凍らせ方に秘密があるようです これって、当時どう呼んでたんだろうか? メロンアイス? メロンシャーベット? メロンカップ? このアイス、色んなメーカーが出してたようなんですが井村屋では 昭和47年に、フルーツメロンという商品名で発売したそう で、現行モデルはメロンボールという商品名だそうだ う~ん、このメロンアイスを始めて食べたのはもっと前のような気がするのだが・・・ で、調べてみるとこの商品の元祖は大阪のセンタンって会社だそうだ いつ発売したのかはわからなかったが、それだったんだろうか? ソーダ味で一つのアイスに2本の棒が付いてるソーダアイス 昭和58年にダブルソーダと商品名が変わったが 昭和40年に発売された時の商品名はソーダアイスだった このアイス、半分に割ると真ん中のバリの部分がどちらかに偏るんですよね~ 友達と半分こする時はジャンケン、兄弟の時は兄の僕が大きい方だった (笑) と、いう事で他にもカップのアイスなどを含めまだまだ懐かしいアイスもあるが 個人的に思い入れのあるアイスはこれくらいですかね ジャンジャン!
懐かしの昭和アイス 昭和40年代|アイスの国へようこそ|日本アイスクリーム協会 | 牛乳のパッケージ, カフェポスター, 懐かしいお菓子
昭和40年代前半に発売されていたアイスについての質問。 三色トリノのように三色アイスクリームで、棒がついているタイプではなく四角い箱に入っていて50円で売られていたアイスを食べたような記憶があるのですが、ご記憶にある方はいらっしゃいますか?
夕日のカンカン照りつける部屋でした。50年も前の話です。 コロッケとごはんの夕飯を兄と二人で食べようとしている時、カタカタと下駄の音をさせて、母が駆け込んできました。 そして、驚いている私と兄の前に新聞紙に包んだアイスクリーム二個を出しました。 「食べさせたくて 急いできたんだ さあさ 食べてみな」。モナカのアイスクリームでした。それはそれは、頬っぺたが落ちそうな夢のようなおいしさでした。 喜んでいる私と兄の食べっぷりを満足そうに少しのあいだ見つめていると、またカタコトと下駄の音を響かせて仕事場に戻っていきました。 どんなに急いでも四十分はかかる距離のはずでした。仕事場でもらったアイスクリームを留守番している子供のためにと持ち帰った母、西日のカンカン照る道をどんな思いで急いで歩いてきたのでしょうか。 懐かしい母の思い出とアイスクリームの味でした。